図書出版

花乱社

田原春次と堺利彦農民労働学校:社会民主主義派の水平運動と農民運動』小正路淑泰著

■花乱社選書7
■本体2500円+税/A5判/272ページ /並製本
■ISBN978-4-910038-84-1 C0036
■2023.11刊
■書評:「毎日新聞」西部本社京築版 2023.11.23
「秋水通信 第36号」幸徳秋水を顕彰する会 2023.12.20
「大逆事件の真実をあきらかにする会ニュース」63号 20241.24
「西日本新聞」北九州京築版2024.2.10 ふくおか版2.15
 

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福岡・豊前が生んだ水平運動・農民運動の指導者田原春次。反差別の社会運動と移民支援に力を尽くしたその軌跡を辿る。さらに、松本治一郎旧蔵資料、堺利彦関係資料などを駆使し、独立系水平社・自治正義団、堺利彦農民労働学校の系譜が担った社会運動の地域的展開、戦後への継承を鮮明に描き出す。
【福岡部落史研究会創立五〇周年記念出版】


もくじ

まえがき
第一章 被差別部落青年田原春次の自己形成
    ──田原ルイザ聞き取りと所蔵写真
第二章 第三期堺利彦農民労働学校移動講座
    ──満州事変期の全農総本部派
第三章 高松結婚差別裁判糺弾闘争前後の田原春次と松本治一郎
    ──松本治一郎旧蔵資料(仮)の検討を通して
第四章 一九三六、三七年総選挙前後の田原春次と松本治一郎
    ──全国水平社の国政進出
第五章 独立系水平社・自治正義団と堺利彦農民労働学校
    ──対抗的公共圏の形成
第六章 戦時下の田原春次
    ──堺利彦農民労働学校の再編過程を中心に
第七章 書評とエッセイ
あとがき


本書より

 田原春次(一九〇〇・七・二八〜七三・七・一四)は、福岡県行橋市出身の水平運動・農民運動指導者である。一九三〇年代に三〇歳代で全国水平社九州連合会(全水九連)組織宣伝部委員、全国農民組合総本部派福岡県連合会(全農福連)執行委員長となり、先行する左派の全国農民組合全国会議派福佐連合会(全農福佐)や、右派の日本農民組合九州同盟会(日農九同)と競合・対抗しながら豊前地方の被差別部落小作農民を組織し、差別と貧困からの解放に全力を傾注した。
 早稲田大学建設者同盟以来の盟友浅沼稲次郎ら日本労農党―日本大衆党系の社会民主主義派(『社会新聞』派)の系譜に連なり、社会大衆党(社大党)が大躍進した一九三七年総選挙において、同党公認候補として福岡第四区(現在の第一〇区と第一一区)で初当選を果たした。社大党―社会党(右派)所属の衆議院議員を七期務め、部落差別撤廃の法整備や人権行政の確立に尽力する。
 田原春次は、水平運動・農民運動の指導者のなかで、アメリカ留学や豊富な海外視察経験を持つ希有の存在であった。戦前・戦後一貫して海外への留学や移民を推奨し、孤立し不安定な状況に置かれた在外日本人や移民二世、三世に対する支援の拡充を政治家としてのライフワークとした。……

 本書は、前著に引き続き、田原春次の地盤である福岡県京都(みやこ)郡地方を対象とする。
 京都郡の地域的特徴は、第一に、福岡県立豊津中学校(現育徳館中学校・高等学校)の存在である。同校草創期の一八八六(明治一九)年に卒業した“社会主義の父”堺利彦が、晩年の帰郷記「土蜘蛛旅行」(『中央公論』一九三〇年一二月)で「豊津中学が、その後に於いて如何に多く、続々として、無産運動者、危険人物、社会主義者、共産主義者等を産出した事よ」と感慨深く述懐しているように、豊津藩(旧小倉藩)の藩校育徳館を源流とする豊津中は、明治維新の“負け組”の反骨のエネルギーをバネにし、“もう一つの近代日本”を模索した一群の思想家・作家・社会運動家などを続々と輩出した。田原春次も豊津中の反骨の系譜に連なる一人であり、その自己形成は、長女田原ルイザからの聞き取りと所蔵資料を紹介しながら第一章で論じる。
 第二は、一九二六年五月に創立された独立系水平社・自治正義団である。自治正義団は、初発の段階から水平運動と融和運動の双方と連携するという独自の部落差別撤廃運動を展開した。県庁所在地から遠く離れた「周縁」に位置する京都郡の社会運動は、「中心」や「中央」に収斂されない独自性や自立性を発揮する傾向にあった。自治正義団初代理事長の吉川兼光は、田原春次の実弟である。自治正義団の研究史は、第五章で整理する。
 第三は、一九三一年二月に開校した堺利彦農民労働学校である。同校からは、自治正義団無産運動進出派大衆党系(全農総本部派京築委員会)や水平運動の新たな担い手(全国水平社福岡県連合会京築支部準備委員会)が誕生し、戦後の部落解放運動、農民運動、労働運動や地域の政治、教育、文化にも多くの影響を与えた。被差別部落における識字運動が、全国に先駆けて京都郡で胎動した土壌は、堺利彦農民労働学校によって耕された。識字運動胎動の真相は、第五章で簡単に触れる。
 第四は、一九五六年に結成された堺利彦顕彰会という労働者文化運動である。戦前期と同様に戦後も諸党派に分立していた堺利彦農民労働学校関係者は、五五年体制成立期、党派的な対立を乗り越えて堺利彦顕彰会に再結集した。堺利彦農民労働学校に参画して自己を形成した人々にとって、同校は心の拠り所だった。堺利彦顕彰会(一九九五年に堺利彦・葉山嘉樹・鶴田知也の三人の偉業を顕彰する会と改称)の原動力となったのは、幸徳秋水や大杉栄に比べ堺利彦の知名度が低く、正当な評価が確立されていない、そしてそれは、戦旗派の小林多喜二と文芸戦線派の葉山嘉樹、鶴田知也、筑前の松本治一郎と豊前の田原春次の関係においても同様という忸怩たる思いであった。(「まえがき」より抜粋)

 


【著者紹介】小正路淑泰  (こしょうじ・としやす)

1961年,福岡県行橋市生まれ。1984年,九州大学法学部卒。政治史・社会運動史。公益社団法人福岡県人権研究所副理事長。初期社会主義研究会編集委員。日本社会文学会理事。
著書:『堺利彦と葉山嘉樹―無産政党の社会運動と文化運動』(論創社,2021年)。編著:『鶴田知也作品選』(鶴田知也顕彰事業推進委員会,1992年),『堺利彦獄中書簡を読む』(菁柿堂,2011年),『葉山嘉樹・真実を語る文学』(花乱社,2012年),『堺利彦―初期社会主義の思想圏』(論創社,2016年)他多数。